外出自粛で思いがけずやられちまった話

 

実はすっかり参ってしまっている。

 

新型コロナウィルスの流行を受けて、東京都は4/7から緊急事態宣言が出された状態、住民には外出自粛要請が出されている。これは言わずもがな。

で、自分はというと元々日頃から出来るだけ外出を避けて部屋で1分でも多く寝ていたい性分だったもので、今回の外出自粛に関しても「外に出るな?任せてください!!」とばかりはりきって家にこもり、そしてぐーぐーと寝てばかりいた。

 

そうしたら気付けば、寝ても寝ても起きられない訳の分からない体調になってしまった。文字通り朝も夜も関係なく眠りまくり、さすがにどこかのタイミングで起き上がろうにもひどいダルさ…いやダルさを通り越して体の節々が風邪のような痛みすら覚える(ちなみに熱とかはない。コロナじゃないぞ!)。そして手足の末端は常にしびれるような熱をもっていて不快なことこの上ない。布団で寝ている時も、常にサッシ戸のアルミなどに足の裏を押し付けて冷やしていないと落ち着かず、眠れない。…目が冴えてしょうがないかと思ったらまた眠りに落ち…そんなことの繰り返しだ。

 

ダルい体調はいつもの事だけど、これはさすがに普通じゃないしとても仕事どころじゃない。何も手につかない。そんな情けない状況がここ一週間ほど続いている。

 

みなまで言うな、こいつはおそらく自律神経失調症というやつだろう。

いつかネットで見かけた、まさにそのままの症状だ。

 

実はこれまでにも2度ほど、生活のリズムと仕事との向き合い方を間違えてこういった状態に墜落したことがある。回復方法はただ一つ、何かのアポイントメントに這ってでも出かけて健康なフリをして仕事をすること。日の光を浴びて外に出かけ、人と会い、何かやり取りをしながら無理やりにでも仕事をしているとこれまで全く言う事をきかなかった体がいつの間にか調子を取り戻す。そういうものだった。

(本当に自業自得というか、一人相撲というか迷惑というか。)

 

…なのに今は、その肝心のアポイントメントが全滅している。新型コロナの影響を受けて、打合せやら撮影やら、外に出かける用事は例外なく吹き飛んでしまった。そして極力、家からは出るなという。

 

終わった。はりきって惰眠を貪りまくった自分の負けや。今度こそジ・エンドなんや。

 

SNSを眺めてみると、皆さん生活リズムは崩さないように気を付けたり、例え暇が出来ても気持ちに張り合いの生まれるような作業を取り入れたり、適度な運動を意識的にしたりととにかく頑張っている。こういう非常時にも頑張って心身の健康を維持している。

自分はかれこれ3年も自宅勤務している癖に、一体何をやっているんだろうか…。

 

などと悲観していてもはじまらないので、溜まっている作業をまずは指一本のクリック、一文字のキータッチを積み上げる思いでどうにかやっつけようとしている。

 

ちなみにちょっとした手慣らし感覚でこのブログを開いてみたら、こんなフニャついたエントリーを実に1200文字もスラスラと書けることが分かった。度し難い。度し難いことよ俺。

 

では。作業に戻ります。

歯は痛えわ財布はねえわ

歯が痛い。

口の右奥、おそらく親知らずがあるのであろうあたりを中心に、奥歯全体がとても痛い。

 というか白状すると、もう3週間くらい痛い。

 

…別にこちらも歯が痛いままに3週間ガン無視をきめていた訳ではなく、歯医者に電話はしたし予約もとりつけた。

だけどなんでいまだに歯が痛いのかというと、歯医者に出かけようとしたら…カバンが見つからなかったからだ。カバンの中には財布やらなにやら、日頃使うものが一通り入っていた。ついでに現金も数万円入っていた。あぁぁあ。

 

最初の5分くらいは「あっるぇー?どーこ置いたっけかなーフフフーン」くらいのノリで探していたのだが、そのうち徐々に徐々に「……。」という感じになっていった。

部屋を探しても、リビングを探してもない。トイレにも風呂にも台所にもソファの裏にも冷蔵庫の中にもない。自転車のかごにもない。

そんなことあるか???

 

そういえば過去に一度、近所の飲食店にカバンを忘れたことがあった。今回もそのパターンかと思って、駅から自分ちまでの間にある最近行ったお店に一通り出向いて「すんません、カバンの忘れ物ないですか…?」と訊ねてみた。なかった。

 

…仕方がないので歯医者に電話をする(この時点で予約の時間をちょっと過ぎてる)。

 

「すみません、大変申し訳ないのですが、財布を失くしてしまいまして…。保険証も現金もキャッシュカードもなんも無くなっちゃったので、諸々落ち着いたら日を改めて…という形でもよろしいですか?本当にすみません…」

「えぇ…それは…。…見つかったらまたお電話くださいね…」

 

 

その後、交番にも届けてみたんだけど結局カバンは出てこなかった。財布を失くしたのは、去年に引き続き2度目。ああああああ。

 

もうやだ。くそ。死にたい。そういった気持ちで数日過ごしつつ、死んだ目をしながら保険証やカード類など諸々再発行の手続きをした。その間はモバイルSuicaでしか買い物が出来ないため、キャッシュレス決済に対応した高級なスーパーで買いたくもない高いお肉を買ったりした。ちょっと美味しかった。

 

歯は相変わらず痛い。せっかくかったちょっと高いお肉も、口の左半分でしか噛めない。右半分で間違ってものを噛むと、とんでもねえ激痛が走る。

 

はやいとこ歯医者に行きたいんだけど、地味に忙しくて来週くらいになりそうだ。

仙台の部屋を退去した

5月末で、仙台の部屋を退去した。

 

町田の部屋と行き来しながら断続的に片付けをしていたので、かれこれ1か月以上もTwitterで「退去するぞー片付けてるぞー」と言い続けることに。退去おじさんか。

なんとなく備忘録的に、退去までの流れを書き留めてみる。

 

[5/4,5]自宅フリーマーケット

あまりにものが多く移動手段もないので、希望者を募り住所を送って自宅フリマを敢行した。来訪者の方々から励ましの言葉を頂き、また売上的にもリサイクルショップに持ち込むよりもはるかに儲かってしまいウハウハに。

 

売上げは公約?通り牛タンになった。

 

一部の家具は、知人が最近始めた女性向けのケアハウスに運ばれることに。

多くの人の役に立つならと、基本的に無償でお譲り。

 

[5/6~5/13]ロケやらなにやら

13日に仙台でロケがあったので、それまでしばらく滞在しつつ片付けしつつ仕事する。

机やらイスやらも全部片づけてしまい自宅では仕事が出来ないので、春日町あたりに見つけたイケてるコワーキングスペースで仕事をするなど。

 

この間に、行きつけのバーやら思い出のカレー屋やらを巡って自分なりの「仙台サヨナラツアー」を行う。

 

で、ロケが終わったらまた東京に帰って月末には…

 

 

[5/25,26]自宅BBQ

退去だっつってんのに現地でわざわざ網焼き機を買って荷物を増やすという。

 

で、二日間かけて知人を累計10人ほど招いて自宅BBQ。

部屋が白くなるほど肉を焼いて食べた。仙台牛、牛タン、ホヤ、笹かま、ホタテ、ワニ肉、カンガルー肉…… 

 

[5/31,6/1]退去・福島に帰る

正直遊んでばっかりいたので、結局当日バタつくという。

それでもまぁ、不動産屋さんが来る15時までにどうにかなった。

 

そして知人宅に泊まらせてもらい、翌朝東京…ではなく福島に帰った。

浪人のために仙台に向かった12年前と、同じ東北本線。あの日との往復キップで帰ってきたような気分。エモみ。

 

 

 

だらだら書いてしまったけど、こんな感じの1か月でした。はい。

寂しい気持ちもありつつ、やっと何か…色々と状況の整理がついたような、そんなスッキリ感もある。

正直自分の中では、部屋がなくなるだけで宮城との行き来は今後もありそうなのでそんなにビッグイベントな感覚がなかったんだけれども、

会う人会う人から「お元気で」「体に気をつけて」「こっち来たら連絡ちょうだいね」なんて言葉を沢山頂いて、ちょっと感じるものがあった。人に恵まれておる。

 

…まー、今月にももう2件仙台ロケ入ってたり、今後もちょくちょく宮城行くことはありそうなんですが。

その時は、相手してやってください。

 

仙台の部屋を片付けた話

自分のツイッターを眺めている人なら嫌でも目に入ったことと思うけど、

仙台で4,5日かけて、8年間住んだ部屋(旧・ニホンジンハウス)を片付けていた。

 

間取り3DKのほぼ全ての部屋が散らかり放題というありさま、しかも出ていったニホンジンメンバーの荷物も結構な量あったので、初日に手をつけた瞬間には絶望感しかなかった。それでもなんとか一通りものを整理することが出来て、今はほっとしている。今部屋の中はかなり殺風景で、何だか疲れがどっと出てきた。

急きょ手伝いに来て下さったまゆみさんと息子さん、トラックを出してくれた地元の友人には頭が上がらない。

 

 

毎日ひたすら片付けをしていると、本当に色んなものが出てきた。

高校時代から使っていた携帯。筆入れなどの筆記用具。仙台に引っ越すとなった時に、友人から贈られたプレゼント。浪人時代のテキストやノート。大学に入って着始めた服。学生バンドだった頃、オーディションイベントで配っていたデモCD。ライブハウスのバックパスがベタベタ貼られたエフェクターボード。卒業論文。震災発生当時、ボランティアやったらもらえた感謝状。そしてニホンジンやってた頃の衣装や小道具。沢山の手紙やプレゼント。

 

いやー、まさに思い出で散らかった部屋。

自分の仙台暮らし12年をいやでも振り返らされた5日間だった。本当にいい街だったよ仙台は。

 

ところで今回、ちょっと変な試みではあるけど自宅でフリーマーケットを開いて残った家具や家電、日用品を色んな人に譲ることにした。だいたいのものは500円。ちょっと高かったものでも1000円とかかな。お皿なんかは50円とかでいいや…といった感じ。

 

 

なんでそんな事をしようと思ったかというと、仙台での運送手段がなく自分ではリサイクルショップに運びこめないからというのがまず一つ。

引っ越しで何かとお金がかかっているからちょっとでも儲けようというのも一つ。笑

 

そして最後の理由としては、色んな人にお別れの挨拶みたいなものを言える機会があるといいかな、と思ったから。(向こうから足を運んでもらう形になるのは恐縮なんだけど)

訪問してくれた方たちには、買ってくれたものにまつわる思い出話とか、この部屋でこういう撮影を昔やって…みたいな話とか、そういう「店番兼語り部」的なスタンスで対応させて頂こうと思う。

 

部屋の退去は5月末。もうしばらく、引っ越しネタでツイッターでわーわー騒ぐと思いますがご容赦ください。

 

youtu.be

 

 

少し冷たい春の風

アンテナのワンマンライブを観に、仙台までやってきた。

(まるでアンテナのファンブログみたいになっている)

 

ジャンクボックスはアンテナがアマチュア時代に初めてライブに出た会場らしい。今回のMCで初めて知った。それが今や5公演のツアーの会場の一つでチケットはソールドアウトだというんだから、沁みる話だ。

 

ライブが終わって会場から出る時、一人の女の子と目があい「あ。」となった。

バンドをやっていた頃、よく自分たちのライブやイベントに来てくれていた子だった。

 

ほぼ2年ぶりの再会?に、思わず懐かしくなった。彼女は進学した事や、将来就きたい仕事の事などを話してくれた。今は他県に住んでいるらしい。

 

「今、何してるんですか?」

「働いてるよ。働いてるか、ゲームしてるか、ギター弾いてるよ」

「私もう〇歳になったんですよ」

「俺なんかこないだ30になったよ」

「えーー!?うわーーー!!」

 

時が流れたんだなぁと思いつつ、フォーラス前で「じゃ、頑張ってね」「お元気で」と言い合って別れた。

そのまま仙台の家に帰り、徹夜明けだったのでそのまま寝た。

 

そして翌日(つまり今日)。朝早く起きたので家で編集作業を進めつつ、煮詰まってきたのでコンビニに散歩がてら行った。

お店のレジに、よく見かける女の子が立っていた。彼女もバンド時代にイベントによく来てくれていた子で、そこのコンビニにレジを打ってもらいつつ一言二言話すことがたまにあった。

 

目があい、「あー今日お会い出来てよかったですー」と話しかけられた。

聞けば、そのコンビニで働くのは今日が最後だそうだ。

この春進学するので、宮城を出て関東に行くとのこと。

彼女にも目指している職業があるらしい。いつかなんかの機会に一緒に仕事出来たらいいね。なんて話をして、炭酸水を一本買ってコンビニを出た。

 

朝はとても寒く雪もちらついていたのに、いつの間にかよく晴れてとてもいい天気になっていた。

帰る途中、びゅうっと強い風が吹いて、アパートのどこかの部屋から洗濯物のジーンズが目の前に飛んできた。拾って、近くのフェンスにかけてやった。

少し冷たいけど、それでも春の風だなあ。と思った。

 

自分もおそらく、あと1~2か月のうちに仙台の物件は退去することになりそうだ。

仙台には特に仕事か用事がある時だけ来ることにしようと決めたので、いずれこの街も自分にとっては「旅先の地」になるんだろう。というか、今回新幹線から降りた時にはもう、ちょっとそういう感じがした。以前住んでいた懐かしい旅先、という感覚だ。

 

この街を歩くたびに、面白いように誰か知り合いとばったり出会う。話しかけられる。

アーケードのスピーカーからお知り合いの方の歌が流れてきたり、店先に貼られたポスターや自販機の広告で見知った顔を見かけたりする。

随分と特別に楽しい思いをさせてもらったものだと思う。

 

立て続けに懐かしいことばかり起きてしまって、少しエモい気分になってしまった。

あまり長くいると居心地がよ過ぎるので、今回も早めに東京に帰って仕事の続きをしよう。

 

いややっぱり、今日くらいは夕方から国分町行って酒飲もう。

布団とスマホと頭痛と私

激しい頭痛とダルさに見舞われて、週末からまともに動けず数日間寝込んでしまった。

最近あたふたと仕事をして、ちょっと調子よく充実している感じがした矢先にこれだ。何だか気が滅入る。

 

その滅入った状態のまま、今年の3.11がやってきた。

あの震災に関しては、どんな言葉で表現するも何を感じるも全く人それぞれだ。震災に関して自分は毎年、「別に何か言わなきゃいけない、行動しなきゃいけない訳じゃないという事も踏まえたい」などといった歯切れの悪いことばかり自分への言い訳のように言ってきた。そして今年は当日にSNSなどで何を言うでもなかった。まぁ、特に言えることもないなら黙っているのが一番いいのだと思う。

毎年そうだけど、どうもこの話題に関しては何かを言葉にしたい気持ちと、それと同じくらい口を固く閉ざしたい気持ちがぶつかって気持ちが悪い。そしてSNSの様々な書き込みを眺めていると、誰もが似たような、モヤついた何かを抱えているように思えた。事が重大かつ複雑過ぎて、完全に適切な言葉など見つかる訳がない。けして言葉に出来ないモヤついた何かの周りを、言葉だけを頼りにぐるぐる回るような居心地の悪さを、タイムライン中に感じた。

黙祷をしたと報告している人も、忘れない事の大切さを説いている人も、忘れさせろと言っている人も、自分に降りかかった悲しい出来事を静かに乗り越えようとしている人も、不謹慎で露悪的な事をわざわざ言っている人も。皆それぞれのモヤモヤした何かの周りを今もぐるぐる回っているんだろうか。そんな事をぼんやり考えた。

 

今回の体調不良はかなりしつこく、そのまま布団から動けなかった。まどろみと頭痛がぐちゃぐちゃに混ざった時間が過ぎる中、脇に置いたスマホが「トゥルン」と通知音を出しニュース速報を伝えてきた。なんとまあ、ピエール瀧さんがコカインで捕まったという。

「瀧さんかあ…いやいやいや、まあまあまあ…」という実に妙な気持ちになった。大きな驚きと、それと同じくらい大きな「驚かなさ」がまともにぶつかった不思議な気持ちだ。

ともかく悲しい報せであることは間違いなかった。

 

SNSのタイムラインは今度は、瀧さん出演の映画・ドラマやゲームが今後お蔵入りとなってしまうのかどうかを盛んに議論し始めた。こうして布団の中から定点観察していると、SNSの中の人たちの話題の移り変わりは随分慌ただしい。普段自分もその一部な訳だけど。

 

瀧さんの話題について、はじめはただ点々と呟かれていただけの意見の集まりは、やがて一部の人たちの好戦的な言葉を合図に各陣営に分かれてケンカを始めた。これこれこうだから作品のお蔵入りなんぞは愚かなだけである、いやいやこういう訳だからやはり回収はやむなしである…といった具合。

 

人間はえてして、結局は感情で判断してるんだけど後付けの理屈でどうにか納得する生き物だ。

だから今回の議論も「引き続き瀧さんが見たいよー!」「自粛いい加減にしろー!」という感情と「何をけしからん!」「犯罪者は許せねーー!」という感情が、それぞれ理屈という剣と鎧をまとってチャンバラをやっているだけのような気がしてきた。

時々目に飛び込んでくる、「これこれこういう理屈で我が陣営の勝利ー!」的な言葉が空しい。ネットでの議論ではしばしば、両陣営からそれぞれに勝利宣言が掲げられる。最近はそういうのもちょっと見飽きた。

 

それはともかく自分の感情はというとただ「今後も瀧さんの活躍見てえなあ」に尽きる。見られなくなる・聴けなくなるのはどうにも寂しい。だからああしろこうしろなんて自分が言っても仕方なくて、ただひたすら寂しさがあるだけだ。

一方でもし、今回捕まったのがあまり好きじゃない芸能人だったら自分の感情は「そのまま引退しろー!」という方向に動いたかも知れないなとも思う。このように本来感情というのは論理的一貫性を持たないものだ。理屈がその先にくっついてるだけ。

だから世の中全体の決定にも、一貫性なんてない。薬物がいかんならなんで電気グルーヴのCDだけ回収されてビートルズのは並んでるんだ…なんて事をブーブー言ったところで何にもならない。今世間の感情がそうなんだから仕方ない。単なる感情が寄せ集まって世論の不条理なうねりになり、それが世の中をズズズと押し動かしている、ただそれだけだ。

 

だったら下手に理屈なんかこねて空しい武装をするより、せめて自分の感情をしっかり自覚し続けてあげた方が正直でいいのかも知れないなあ、と思った。

ああ寂しい。ほんとそれだけ。

 

…といった事を悶々と布団の中で思い続けた頭痛の数日間だった。体調が完全に治るのに、結局水曜日までかかった。明らかに崩れた生活習慣が体調不良を呼んでいるので、もうこういう事が起こらないようどうにかしたい。今日は締切に追われて編集している。

不安ゾンビの日々

さっきツイッターでも書いたけど、今は仙台に移動中。

明日は結婚式で撮影することになっているので、前ノリして会場の下見やら礼服の用意やらをする。

 

ここ最近の日々は正直、あまり元気はつらつとはいかなかった。

まさに編集編集アンド編集、何日も家から一歩も出なかったり、生活リズムがグズグズになって夜から昼まで作業して昼過ぎが就寝時間になったり、まぁひどい生活だった。

 

編集には色んなパターンがあるけど、基本的にはこちらで一旦全部完成させた上で直しがないか確認をしてもらうことが多い。

この、一番最初に確認をしてもらうバージョンのことを「初稿」と呼ぶ。

 

自分は小心者なので、初稿がまだ出来上がっていない映像を1つでも抱えていると不安で胸がモヤモヤする。2つあるとため息が出る。3つ以上あると胃が痛む。

 

素材が壊れたりしていないか、完成までに風邪ひかないか、うまいやり方がどうしても思いつかなくなったりしないか、どこかに恐ろしく手間のかかる所があったりしないか…不安ばかりでどうしようもない。

 

今週やっていたのは、初稿3つに修正3つ。一応締切のピンチはないものの、やはり頭に常に「初稿」がもたげて寝ても覚めても不安なので、寝ても不安なら寝ずにやっちまおうという発想で夜中に作業して日中に気絶するという感じの生活をしばらく送っていた。

よくないフリーランスのお手本だ。

 

トータルの睡眠時間はさほど削ってはいないものの、家から全く出ずに同じ部屋で机と布団を往復しているとなんというか、意識レベルが低くなっていく。あー、とか、うー、とか、ゾンビみたいになっていく。不安に苛まれたゾンビだ。

不安なゾンビが、出前とったりしながら映像編集してる訳だ。自炊する知恵はない。ゾンビなので。

 

昨日までで一応初稿っぽいものは一通り出来上がり、朝日を浴びながら仙台に向かっている今は心がすごく穏やかだ。明日撮影ということは明後日からはまた新たな「初稿」たちが待っているという事だけど、とりあえずそれまでの今この時間は一旦心が休まるという訳だ。

 

もっと余裕の心でものづくりを楽しんでいる人も世にはいるんだろうけど、こればかりは生まれついての性格なのでしょうがない。自分は何かやる度、基本怖がっている。今後もビクビクしたりめんどくさがったりしながらものを作っていくだろう。

 

どんなに不安でも、とりあえず手を動かせば完成しなかった事はないんだから不思議だ。

そういうものなんでしょう、色々と。はい。やっていきましょう。