布団とスマホと頭痛と私

激しい頭痛とダルさに見舞われて、週末からまともに動けず数日間寝込んでしまった。

最近あたふたと仕事をして、ちょっと調子よく充実している感じがした矢先にこれだ。何だか気が滅入る。

 

その滅入った状態のまま、今年の3.11がやってきた。

あの震災に関しては、どんな言葉で表現するも何を感じるも全く人それぞれだ。震災に関して自分は毎年、「別に何か言わなきゃいけない、行動しなきゃいけない訳じゃないという事も踏まえたい」などといった歯切れの悪いことばかり自分への言い訳のように言ってきた。そして今年は当日にSNSなどで何を言うでもなかった。まぁ、特に言えることもないなら黙っているのが一番いいのだと思う。

毎年そうだけど、どうもこの話題に関しては何かを言葉にしたい気持ちと、それと同じくらい口を固く閉ざしたい気持ちがぶつかって気持ちが悪い。そしてSNSの様々な書き込みを眺めていると、誰もが似たような、モヤついた何かを抱えているように思えた。事が重大かつ複雑過ぎて、完全に適切な言葉など見つかる訳がない。けして言葉に出来ないモヤついた何かの周りを、言葉だけを頼りにぐるぐる回るような居心地の悪さを、タイムライン中に感じた。

黙祷をしたと報告している人も、忘れない事の大切さを説いている人も、忘れさせろと言っている人も、自分に降りかかった悲しい出来事を静かに乗り越えようとしている人も、不謹慎で露悪的な事をわざわざ言っている人も。皆それぞれのモヤモヤした何かの周りを今もぐるぐる回っているんだろうか。そんな事をぼんやり考えた。

 

今回の体調不良はかなりしつこく、そのまま布団から動けなかった。まどろみと頭痛がぐちゃぐちゃに混ざった時間が過ぎる中、脇に置いたスマホが「トゥルン」と通知音を出しニュース速報を伝えてきた。なんとまあ、ピエール瀧さんがコカインで捕まったという。

「瀧さんかあ…いやいやいや、まあまあまあ…」という実に妙な気持ちになった。大きな驚きと、それと同じくらい大きな「驚かなさ」がまともにぶつかった不思議な気持ちだ。

ともかく悲しい報せであることは間違いなかった。

 

SNSのタイムラインは今度は、瀧さん出演の映画・ドラマやゲームが今後お蔵入りとなってしまうのかどうかを盛んに議論し始めた。こうして布団の中から定点観察していると、SNSの中の人たちの話題の移り変わりは随分慌ただしい。普段自分もその一部な訳だけど。

 

瀧さんの話題について、はじめはただ点々と呟かれていただけの意見の集まりは、やがて一部の人たちの好戦的な言葉を合図に各陣営に分かれてケンカを始めた。これこれこうだから作品のお蔵入りなんぞは愚かなだけである、いやいやこういう訳だからやはり回収はやむなしである…といった具合。

 

人間はえてして、結局は感情で判断してるんだけど後付けの理屈でどうにか納得する生き物だ。

だから今回の議論も「引き続き瀧さんが見たいよー!」「自粛いい加減にしろー!」という感情と「何をけしからん!」「犯罪者は許せねーー!」という感情が、それぞれ理屈という剣と鎧をまとってチャンバラをやっているだけのような気がしてきた。

時々目に飛び込んでくる、「これこれこういう理屈で我が陣営の勝利ー!」的な言葉が空しい。ネットでの議論ではしばしば、両陣営からそれぞれに勝利宣言が掲げられる。最近はそういうのもちょっと見飽きた。

 

それはともかく自分の感情はというとただ「今後も瀧さんの活躍見てえなあ」に尽きる。見られなくなる・聴けなくなるのはどうにも寂しい。だからああしろこうしろなんて自分が言っても仕方なくて、ただひたすら寂しさがあるだけだ。

一方でもし、今回捕まったのがあまり好きじゃない芸能人だったら自分の感情は「そのまま引退しろー!」という方向に動いたかも知れないなとも思う。このように本来感情というのは論理的一貫性を持たないものだ。理屈がその先にくっついてるだけ。

だから世の中全体の決定にも、一貫性なんてない。薬物がいかんならなんで電気グルーヴのCDだけ回収されてビートルズのは並んでるんだ…なんて事をブーブー言ったところで何にもならない。今世間の感情がそうなんだから仕方ない。単なる感情が寄せ集まって世論の不条理なうねりになり、それが世の中をズズズと押し動かしている、ただそれだけだ。

 

だったら下手に理屈なんかこねて空しい武装をするより、せめて自分の感情をしっかり自覚し続けてあげた方が正直でいいのかも知れないなあ、と思った。

ああ寂しい。ほんとそれだけ。

 

…といった事を悶々と布団の中で思い続けた頭痛の数日間だった。体調が完全に治るのに、結局水曜日までかかった。明らかに崩れた生活習慣が体調不良を呼んでいるので、もうこういう事が起こらないようどうにかしたい。今日は締切に追われて編集している。